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2016年9月22日 (木)

人生の勝利者

退職の折に、お世話になり尊敬申し上げていた或る年配の方から「人生の勝利者になってください」という贐(はなむけ)の言葉をいただきました。以後その意味をよく考えないまま過ごしてきました。先日「人生の季節」を書いたときにも気になっていました。この機会に考えをまとめてみました。

人生は相手がある戦いではありませんから、勝利というのはもちろん戦いに擬した言い方ということになります。相手はありませんが、生きていくことには良くも悪くも様々なことが付随し、時には負けそうになることもあります。相手がいないのに勝つとか負けるという言い方が出来るのはなぜか。自分との闘いがあるからではないでしょうか。誰かとケンカする場合もあるでしょうが、それは人生の勝負ではありません。ケンカに負けても立ち直れば人生は続けられます。立ち直ることが出来なければ、ケンカにも自分にも負けたことになります。勝っても商品や賞金がないことは言わずもがなです。

人生では自分が試される数多くの場面に必ず遭遇します。病気、失恋、仕事上の失敗、事故や災害、家族や友人との死別など様々です。人生の季節の終わりには自分が寝たきりや認知症になることも待ち構えています。そういった辛さや苦しみを一つひとつ乗り越え重ねていく先に人生の勝利があると考えられます。言い換えれば、人生における勝利とは様々な負担に耐え、解決し、乗り越えて生き続けることなのでしょう。昏睡状態になったり、認知症で自分が分からなくなった時には、勝利か否かはそれまでの生き方で決まります。人生の季節を迎えた私には、暴飲暴食を避け、精いっぱい健康に留意することも勝利への条件です。

若くして逝った息子には不規則な生活に加えて暴飲暴食もあり、健康への配慮はなかったようです。しかし病状が致命的に悪化してからも、辛い治療も積極的に受け、体力を回復して抗がん剤治療を再開し、社会復帰する希望を捨てませんでした。若さゆえの無防備な生き方をした半面、訪れた不幸に対して愚痴を言うことはありませんでした。そんな態度での闘病生活によって彼は誰にも簡単にはできない親孝行をしてくれたと亡くなった後でしみじみと思いました。今思うと、穏やかな表情でベッドに起き上がり、家族と向き合っていた姿には人生の勝利者の風格が有りました。

未だ断定はできませんが、以上が今の私の「人生の勝利者」の理解です。

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