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2016年12月12日 (月)

長男のバックパッキング(その8 ウズベキスタン:タシュケント)

Barok_hon_madrasasi タシュケント(石の町という意味だそうです)は5月27日の写真から始まっています。

この町ではイスラム遺跡の観光を一休みしていた様子が伺えます。旧市街にはバラクハン‐メドレセという古くて由緒あるいイスラム教の神学校が在りますが、そこを訪れた様子はありません。
写真一枚目:バラクハン‐メドレセ

緑の多い市内の公園、ウズベキスタン歴史博物館、宿泊所(B&B?)とその家族、旅先で知り合って友達になった人、宿泊所の家族らと外出したとき等の写真がたくさんあります。タシュケントでは外国人は三つ星以上のホテルに泊まることになっていたそうですが、当然費用がかかりすぎるので、彼らはB&Bの様なところに泊まったそうです。

この宿泊所(B&B?)は一族が集まってすんでいる集合住宅でした。長老がいて夕刻には毎日一族のものが挨拶に来て食事を共にしており、B&Bの客には見るからに安っぽい(嘘っぽい)作りの偽造宿泊証明書が用意されていました。

Meal_on_table タシュケントではO君なる人と同宿し、親交を結んだようです。O君は入院中にもわざわざ東京から見舞いにも来てくれました。宿泊所では明るいうちに帰るよう申し渡されていたのですが、ある夜二人で窓から抜け出したところ運悪く?警官の職務質問を受け、警察署に連行されてしまいました。O君のつるつるに剃り上げた頭のせいで職質を受けることになったと息子はO君を責めたのですが、後の祭りでした。
写真二枚目:B&B?の食卓




T_and_statue_of_timur 警察署では当然宿泊先を訊かれたのですが、言葉が分からないことをいいことにのらりくらりとやり過ごしたそうです。警官たちに賄賂を出せば解放されると聞いていたそうですが、最後までお金は出しませんでした。途中テレビドラマの『おしん』の話で盛り上がったりしているうちに上司らしい人が来てその人の指示で無事解放されました。
写真三枚目:チムールの像前の本人

別の夜にはO君と一緒に街に出、現地の若者達と連れ立ってロシア人の飲み屋に行きましたが、どういう訳か現地の若本たちは追い返され、二人だけが入れたそうです。息子はウオッカに酔いつぶれてトイレに入りましたが、いつの間にか居なくなった息子をO君は他の客と一緒に探したそうです。

大学ノートに日記をつけているらしい様子の写真もあります。彼の日記はロンドン滞在中に出会った日本人旅行者に見せてほしいと頼まれ、貸したまま返ってこなかったと聞いています。毎日細かくつけていた日記だそうです。今手元にあったらと悔やまれます!

Keeping_diary タシュケントは観光を一休みし、その先の旅に向けての充電の場所だったようです。息子から聞いた記録でも、また写真の日付でも6月3日に深夜バスでタシュケントを発ち、6月4日に次の訪問国キルギスに入っています。ウズベキスタン滞在は13日間です。その内タシュケント滞在は一週間と長く、ゆっくり過ごした様子が伺えます。

首都ビシュケクからは多分ワゴン車のような小型のバスで目的地アルティンアラシャンに向かっています。
写真四枚目:日記?を書いている本人

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